7月12日。
最愛のうちの子、クチサケヤモリのぐみちゃんの命日です。
あの日から一年。
幸いほかのみんな氏は元気にしているし、飼い主もまあそれなりにぼちぼちやっています。
この一年、ぐみちゃんのことを考えなかった日は一日もなかったし、やっぱりずっと寂しいし、会いたい気持ちも変わりなく。
あの日のことを夢に見ることもあれば、ぐみちゃんを思い出して泣いちゃうこともあります。
でも、もう前ほど悲しみに打ちひしがれてはいないです。
変な言い方かもしれないけど、私の中には今でもぐみちゃんはいるから。
みんな氏について考えるとき、ナチュラルにぐみちゃんのことも頭数に入れています。
しょこらちゃんはああだな、りりぽょちゃんはこうだな、ぐみちゃんはこういうところがあるな、みたいな……上手い例えができないけど、普通にぐみちゃんもいるものとして考えているところがある。
たぶん私の中で、ぐみちゃんが「いなくなった」ことよりも、ぐみちゃんが「いてくれた」ことの比重が大きくなってきたのかなって思います。
確かにこの世にはもういなくなっちゃったけど、ぐみちゃんは今も、これからも、ずっとずっとうちの子です。
ぐみちゃんに会いたいなって一番思うのは、みんなにごはんをあげているとき。
ぐみちゃんはちっちゃな体で誰よりも食いしん坊だったから、ごはんの気配を感じると真っ先にこっちに来てそわそわしててかわいかったのよ(*´ ˘ `*)
特に同じクチサケヤモリのつぶぉさんにごはんをあげていると、食いつき方にぐみちゃんの面影を感じて、胸がきゅっとなるときがあります。
ぐみちゃんにごはんあげたいなって、今もよく思います。
あと、他の子になにかトラブルがあったとき……ちょっと脱皮を失敗したとか、大事には至ってないんだけど……そういうとき、あの日のことがフラッシュバックしてパニックになってしまうことがあります。
どうしようどうしよう死んじゃうかもしれない!ってあたふたしてしまうのよね。ちょっとトラウマみたいになっちゃってるのかな。
言葉も通じない、自分よりずっとずっと小さな生き物を飼うことの難しさは、より一層感じるようになりました。
この子たちはあまり表情がないのもあって、痛いとか苦しいとかも人間にはわかりづらいから、飼い主なのに何もできない自分の無力さをもどかしく思うこともあります。
それでも、「こんなにつらい思いをするなら飼わなきゃよかった」とか、そういう風に思ったことは一度もなくて。
ぐみちゃんに出会えたのは、私にとって120%幸せなことです。
ここにいなくたって、もう会えなくたって、ぐみちゃんのことが大好きです。
あの日、火葬のときに一緒に入れたのと同じお花を買いました。デルフィニウムっていうのかな?
花言葉は「清明」のほかに「あなたは幸福をふりまく」というものがあるんですって。
これ以上ないほど、ぐみちゃんにぴったりの言葉です。
命は亡くなったら終わりだって、頭ではわかってるんだけど……なんとなく、ぐみちゃんは別のどこかにいるんじゃないかって気がしていて。
どこにいても、ぐみちゃんが笑っていてくれたらいいなって思います。
愛するお嬢さんに、祈りを込めて。