りずろぐ。

ぬるくやわらかく

りずろぐ。

分かり合えない母親とのこと

 

社会人になったばかりの頃。

よく晴れた午後。日当たりのいい1Kのアパート。ベッドにもたれかかって、母と電話をしていた。

 

その頃の母は電話をするたびに泣いていた。

「ごめんね。お母さんのせいで。あたしがもっと違っていたら、あなたはこんな風にならなかったのに。ほら、あの時だって。もう一度あなたを育て直したい。ごめんね。ごめんね」

 

ああ、まだ私の役目は終わらないんだなあと思った。

大丈夫だよ、お母さん。私そんなこと思ってないよ。泣かないで。私こそごめんね。

 

ーーー

 

子供の頃からいつもそうだった。

泣いている母を慰めるのが私の役割だった。

お母さん、大丈夫だよ。私は味方だよ。本当にひどいよね。お母さんは何も間違ってないよ。大丈夫。大丈夫だから。

 

二人だけの夕方のキッチンで。家を飛び出した夜の公園で。置き去りにされたどこかの街の道端で。帰省中、深夜のリビングで。

 

でも、それは仕方のないことだった。

「お前のような馬鹿女が」といって痣だらけになるまで殴られている母に対して、私にできることはそれくらいしかなかったから。

 

ーーー

 

母から謝られるのは私にとって「あなたを育てるのに失敗した」「あなたは失敗作だ」と言われるのと同じことだった。

確かに母に対して不満を抱いたことはある。悲しい気持ちになったことも何度もある。

でも、私は母を恨んだりはしていない。責めるつもりも全くない。

だから私は、ただ母を慰めるつもりでこう言った。

 

「いくら母親と娘だからといったって別の個体なんだし、お互いのことがわからなくたって、それはしょうがないことなんじゃないかな」

 

そのとき、母が一層声をあげて泣いた。

子供みたいにわんわんと泣いた。

 

あ、私、いまお母さんのこと傷つけたんだ。

でも母が何故泣くのか、何故そこまで傷ついたのか、わからなかった。

「ごめんね。そういうつもりじゃなくて。傷ついたのなら本当にごめん」と、曖昧に謝ることしかできなかった。

 

ひとしきり泣いたあと、母は「いや、こうやって泣かれたって困るよね」と急に冷静になった。

そのあとは二、三世間話をして、母がそろそろ買い物に行くからと言って電話を切った。

 

母と長電話をしたあとはいつも激しい頭痛が起きる。

その日も痛み止めを流し込んでベッドにうずくまった。

 

ーーー

 

このときの母の気持ちが、私には未だにわからない。

母は私に、いつかわかってくれると期待し続けてほしかったのだろうか。

あるいは「お母さんのせいで」と責めてほしかったのだろうか。

 

母となんとなく距離ができたのがこの日からだった。

 

ーーー

 

母とは決して仲が悪いわけではないのだけれど、とにかく気が合わなかった。

勝気で明るい母に対して、内気で大人しい子供だった私。

性格も、ものの好みも、容姿までも、何もかもが正反対だった。

 

だから私は母の言うとおりにすることができなかった。

母は私に強気に振舞うことを望んだ。堂々としていなさいと。男なんかに負けるな、とも言った。

そして、いつも自信なさげにおどおどしている娘がまるで理解不能というようだった。

 

例えば、私が学校でクラスの子にからかわれたとき。

「今日学校でこんなことがあって……」と話し出すと、母は途中で遮って私を責めた。

 

「で、あなたはそのときなんて言ったの?なんでその場で嫌だって言わなかったの?」

「言えなかった?どうして?嫌なときは嫌だって言わなきゃ相手に伝わらないってお母さん教えたよね?」

「ちゃんと嫌だって言わなかったあなたも悪いよ。そうでしょう?お母さん、何か間違ったこと言ってる?」

 

母はいつも必ず「お母さん、何か間違ったこと言ってる?」と聞いた。

その度に絶望的な気持ちになった。だって、母は何も間違ったことを言っていないから。お母さんの言うとおりにできない私が悪い。どうして私はちゃんとできないんだろう。

 

大学生になって、親元を離れて、いろんな人と接していく中で、やっと母の価値観だけが正解ではないということがわかった。

私が思っていたことだって別に間違いではなかったということも、たくさんの人が少しずつ教えてくれた。

 

けれど、アラサーと呼ばれる歳になった今でも、何か上手くいかないときや気持ちが不安定になったときは必ず「で、あなたはちゃんとやったの?」「もっとこうすることだってできたよね?」「お母さん、何か間違ったこと言ってる?」という声が聞こえる。

 

ーーー

 

お母さん、お元気ですか?

最後に会ったのは何年前だろう。もうずっとお母さんの声すら聞いていない気がします。

きっと私がいまどこに住んでいるかも知らないよね。

 

正直に言えば、お母さんに「もっとこうしてほしかった」ということはたくさんあります。

話を聞いてほしかった。共感してほしかった。せめて否定はしないでほしかった。

前に「わかりあえなくたって仕方ない」とは言ったけど、本当はいまでも心のどこかでお母さんに、あなたにわかってほしいという気持ちはあります。

 

もしかしたらあの時、お母さんは私に諦められたようで傷ついたのかな。

全然そんなことないんです。私はお父さんに対しては本当に心から何も期待をしていないけど、お母さんにはいまでもこう望んでしまうのは、お母さんを信頼しているからだし、甘えているんです。

 

お母さんの望む娘になれなかったこと、すごく申し訳なく思っています。

本当にたくさん迷惑をかけて、ひどいこともたくさん言いました。私が学校に行けなくなったとき、お母さん胃潰瘍になったもんね。

小学校、中学校、高校とそれぞれ何かしらやらかしたし、大人になったいまでも「まとも」には程遠い娘で、お母さんには苦労しかかけていません。

 

私がお母さんを不幸にしたんじゃないかって、よく思います。

お母さんは昔から何も間違ったことは言ってなかったし、その都度私がそのとおりにできていたら、お母さんがこんなに悩むことだってなかったはず。

 

それに私のためにお母さんはどんなにつらくても離婚せずにいてくれたでしょ。「あなたには片親で理不尽な思いをさせたくない」と。

私がいなかったらお母さんが殴られることも、片耳が聞こえなくなることも、親族や友人との関係を失うことも、お金に苦労することもなかったんだろうなって。

 

未だにいろんな意味で負担や心配をかけてばかりだよね。

本当にごめんなさい。

 

ネガティブなことばかり言ってしまったけど、お母さんといて楽しかったことだってたくさんあります。

お母さんが口酸っぱく教えてくれた「オチで噛んではいけない」「オチを言う前に自分で笑ってはいけない」というルールは、私の人生において本当に役に立っています。

 

いつも面白いお母さん。

受験の日、お弁当に入れてくれたキットカットのメッセージが絶妙に誤字っていたこと。

私が上京した別れの瞬間、新幹線に乗り込んだ母を見ていたら座席がなくてほかのお客さんと揉めてしまい、走り出してから慌てて手を振ってくれたこと。

夜、ダースベイダーのテーマに合わせてスマホのライトをかざしながら部屋に入ってきたこと。

何故かお化粧の途中で自撮りして、それをLINEスタンプ代わりに使っていたこと。

サーティーワンアイスのトリプルを「メロン、メロン、メロン」で頼んでいたこと。

 

陽気で、面白くて、絶対にハズさない。そんなお母さんが私は好きです。

 

お母さん。

私は未だに何ひとつ成せてなくて安心させることすらできていないし、迷惑をかけてばかりで、こんなことを言える立場ではないのだけれど。

それでも、ただ、本当にお母さんには幸せになってほしいと思っています。

どうか、幸せになってください。

 

いつかまた、そちらに帰ります。それまでどうぞお元気で。

猫たちによろしくね。

 

 

親愛なるお母さんへ

 

 

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今週のお題「あの人へラブレター」